きれいな花はかごの中に
その花かごはベッドの上に
そのベッドは寝室の中
ここにその王国の鍵がある
「これで荷物全部か?」
ボストンバッグ2つとなにやら古めかしい風呂敷包が1つ。シルバに頼んで急遽用意してもらった部屋に運び込んだ。
「すみません葉さま、ここまで運んでいただいて…」
30分ほど前に合流したときからずっと目を潤ませモゴモゴ言うばかりだったたまおだが、ここまできてようやくまともに会話ができるようになった。
「いいって。とりあえずこの部屋は2人で使っていいみたいだし、なんかありゃあオイラたちは1階にいるからな」
自分たちもまだ慣れていないのだが、トイレやシャワールーム、一通りの設備を説明する。熱心に確認するたまおの横で、許嫁の少女は腕を組んでふーん、と相槌を打った。
「水道水が飲めるというのはヤルわね」
「おお、パッチの伝統工芸らしいぞ」
とりあえずの合格点はもらえたらしい。葉は密かに胸を撫で下ろした。室温は少し高いが、窓を開けると乾いた風が入ってきて幾分過ごしやすくなる。
「あの…それで、アンナさま…」
何事か、たまおがアンナに小声で告げる。チラ、とこちらを見られたような気がしたが、葉とて女子同士の会話に口を挟むほど無粋ではない。
「いってらっしゃい。よろしく頼むわ」
「はい…あの、」
「ここか食堂にくればいいわ。何かあれば狸たちを使いなさい。暗くなったら1人では動かないほうがいいから」
ここ、アメリカなのだしね。付け足すようにそう言った。
「なんだ? どっか行くのか?」
会話についていけないまま、尋ねる。アンナの言う通り、ここはあまり治安が良くない。女子が1人で歩き回るのはいかがなものか。
「あああああの、そのっ…」
予想以上にしどろもどろになるたまおに首を傾げたところだったが。
「いいわ、葉にはアタシから説明するから。早く行きなさい」
にべもなく言い切られ、たまおは何度も頭を下げながら部屋を出ていった。不自然な沈黙だけが残る。
「…なんだ?」
「とりあえず夜にでもまとめて説明するわ。たまおが戻ってから」
「…うぃ」
はきとした物言いの割に要領を得ない内容だ。余計な詮索をして吹っ飛ばされるのは御免なので、とりあえず、諾、とだけ答えておく。
「まん太は大丈夫なの?」
あいつシャーマンじゃないし小さいし、と加える。首に巻いたバンダナを外しながらついでのように聞いてくるが、ああ、アンナだな、と葉は思った。
「おお、竜たちもいるし阿弥陀丸に頼んどる。オイラたちの部屋に泊めることにしたから大丈夫だ」
「そう」
そっけなく言うが、心配しているのだ。たまおの件についても同じだ。言葉こそキツいが、アンナはやさしい。
どういう経緯でまん太がやってきたのかはわからないが、アンナに連れてこられたのだけは間違いないのだろうが。
「ボディーガードでござるって張り切ってたぞ」
「らしいわね」
フッと口元が緩む。ここにきて初めて少し笑った。と思い至って、彼女がまとっている空気がずいぶん張り詰めているものだと改めて気づく。
そしてそれがわかるのは、そうじゃないときの姿を知っているからなのだ。
そこまで考えて、葉はあわてて頭を切り替えた。
「じゃあ、お前も少し休めよ。あんまり寝てないんだろ?」
その言葉にアンナは訝しげな顔を見せる。
「コーヒー。さっきの店で飲んでたろ。滅多に飲まんのに」
すると一転して、面白くなさそうに口を尖らす。
「…日本茶がなかったから仕方なくよ」
「なんでもいいが無理すんなって。時差ボケとやらもあるだろうし」
「ボケてなんていないし眠くもないわ。そんなにヤワじゃないわよ」
そう言って腕を組んだままドカッとベッドに腰掛ける。これでは埒があかない。
この、妙に意地っ張りで強がりなところがアンナがアンナたる所以なのだ。何度同じようなことで言い争いをしたことか。
しかし葉とて簡単には引き下がれない。
「じゃあその夜にでもまとめてする話、今してくれよ」
「!?」
予想外だったのか、驚いたようにこちらを睨む。でも怒っているというわけでもなさそうで、先ほどのような強い圧は感じない。珍しくアンナの方から目を逸らす。
「…葉明からのおつかいなのよ」
「じいちゃん?」
ますますわからない。
アンナはふてくされたような顔で視線を床に落としたままだ。今は触れられたくない話だったらしい。予想とは違ったが、牙を削ぐには一役買ってくれた。
まん太まで連れ回した程だ。不吉な予感はするものの、別に今アンナを追い詰めたいわけじゃない。
いちばんの目的は。
「…しっかり寝れてたんか?」
「……」
返事はない。
「飯は?」
「…食べてるわよ」
「嘘つけ。手首の数珠がゆるくなっとる」
少しカマをかけた。が、アンナはまた黙って、右の手首を体の後ろにずらした。今から隠してどうなるというのか。
「…飯の時間になったら起こすから。少しでもいいから横になれよ」
鍵を渡そうと、ポケットの中を探る。冷静でいるつもりだったが存外そうでもなかったらしい。鍵が上手く掴めず手こずってしまう。
少し、いやかなり衝撃的な再会で、頭も気持ちも全然ついてきていなかった。色々と、言いたいこともあるはずなのだが、結局口をついて出るのはこんな話ばかりだ。
(…まあそんなもんだよな)
指の先に鍵が触れた時だった。
「…いちいちうるさいっっ!!!」
「!!!!!???」
後ろから背中を勢いよく蹴飛ばされ、葉はそのままドア近くまで吹っ飛んだ。
遅れて、小さい鍵がチャリーンと音を立てて床に転がる。
「なっ!?」
立ち直ろうと体を起こしたところに今度は上から踵を落とされる。グエッと喉が潰れるような音が出た。
「あたしが寝れなかろうがごはん食べなかろうがなんか問題あるわけ!?」
涙目になって見上げると、仁王立ちの鬼…もといアンナがいた。完全に不意を突かれたが、久々の拳は沁みた。
「…あるだろが!そういうのが大事だって口酸っぱく言ってたのはアンナで」
「自分のことくらい自分がいちばんわかってるわよ」
そう言って鼻息荒く捲し立てるアンナは確かに問題ないほど元気そうだが。
(いや痛えし…)
やれやれと立ち上がったところで、あれ?と気づいた。
あの、さっきまで彼女の周りでピンと張りつめていたものがない。怒ってはいるが、今まであった警戒心剥き出しの、ビリビリとした、半ば八つ当たりみたいなエネルギーの膜みたいなものはほとんど消えかけていた。
(素直じゃねえ…のは、いつものことだけどな)
ここまでされてもなお、それすらも、と思えてしまうのはさすがに病気の類いかもしれない。
近づいて、見下ろす。
「…なによ? まだ何か言いたいわけ?」
腕を腰に当てて睨んでくる。が、やっぱり先ほどまでとは違う。
「おお」
ここで負けてはいけない。葉もなかば睨むようにぶっきらぼうに言った。
「心配だって、言ってんだ」
「!?」
一瞬、アンナの気持ちが乱れたのがわかった。その隙に、思い切って肩を引き寄せ背中に手を回す。細っこい体は簡単に腕の中に収まってしまう。
そのまま、片手で頭をゆっくり撫でた。
「…心配もするだろ。あんなに気を張ってるお前を見たら」
「……」
何かあったのは、間違いない。急にこんなところまでやってきたことも、なんだか、妙に弱気なことを言ってきたことも。
その言葉に何をどう返したらいいかわからなかった。できるのはただ、自分の本心を伝えることだけだ。
抱きしめているうち、柔らかい匂いが伝わってくる。彼女の服からなのか髪からなのか肌からなのかわからないが、懐かしい気持ちと、焦がれるような気持ちが同時に胸に湧く。窓の外は乾いた異国の地なのに、少し前まで一緒に過ごしたあの家の記憶が全身に蘇った。
思わず目の前の白くてふんわりと柔らかいおでこに唇をつけると、腕の中でアンナがビクリと体を硬くするのがわかった。
(…まずい。調子に乗りすぎたか…?)
そっと体を離して見下ろすと、大きな目をますます大きくさせたアンナがいた。普段はあまり感情的になることのないはしばみ色の瞳が、葉の顔を映して揺れていた。
「!」
その姿を見た途端、葉は身動きが取れなくなった。頭の奥に痺れに似た衝撃を感じる。同時に、肌が触れ合ってる部分が急に熱を帯びてきた。
ーーー意識に上ってる記憶なんて曖昧なものなのだと痛感する。
あれは夢だったのかと思う朝さえあった。どんなに思い出を抱きしめていたくても、声や、匂いはどんどん遠ざかっていった。
それなのに今、ほんの少し触れただけで。全身が、アンナの肌を、熱を、あまりにも鮮明に思い出させてくる。
どんなに「今まで通り」に振る舞っても、自分とアンナの間には以前とは違うものが存在している。それが、彼女に触れた途端に大声で主張し始めたものの正体だ。
(……これは本気でいかんやつだ…)
こんな時に限って、アンナは何も言ってこない。殴ってさえこない。ピンと張っていた空気をゆるゆるにさせた上、ただでさえ可愛らしい顔を赤く染めて、戸惑うように見上げてくる。
(…ここまで変わるんか……)
まずい、とにかくまずい。葉はそうっと目線を逸らして、腕を解いた。
「…すまん」
振り絞るようにそう言うと、ぽかんとしたまままのアンナが目の端に映る。そのまま背を向けてドアの前に立って、やっとの思いで言った。
「…とにかく、休めよ」
これ以上触れていたら、声を聞いたら…いやそれ以前に同じ空間にいたらどうなってしまうか。そんなの、休ませるどころではなくなってしまう。
さすがにそんなにカッコ悪い姿は、まだ見せたくなかった。
「葉」
自分の名を呼ぶ声に、背中がぞくりとする。今まで何度も呼ばれているのに、いつもとはまったく違う、湿っぽい声。
「…1時間だけ、寝るわ。起こしにきて」
子どものような、所在なさげな声で言った。
「目を覚ました時、ここにいて」
聞いた途端、心臓をつかまれるような衝撃が体に走った。大きく飛び跳ねたままの音がうるさく、耳の奥まで響いてくる。
(…いて、ほしい、のか?)
なぜとは聞けなかった。たぶんこれがアンナの精一杯なのだから。
(…また、言わせちまったな…)
不甲斐なさを思い知らされながら振り向くと、アンナは大人しくベッドに潜り込んだところだった。
本音を言ってしまえば、すぐにでも回れ右をしてもう一度抱きしめたい。許されるなら触れられるところ全てに触れたい。それだけでは足りなくなるだろうけれど。
(どこまで奪えば、気が済むんだろうな…)
頭をもたげる黒いものに蓋をして、とにかく今はアンナを安心させたかった。
「…おう」
応えて、部屋を出た。
廊下にしゃがみ込み、思い切り深呼吸をする。煮立つように熱くなった頭は申し訳程度に冷めただけだ。
元気ならそれでいい、笑っていればいい。でも、いつか、きっと会いたい。
ずっとそう思っていた、思うだけだったのに、まさか手が届く、熱が伝わるところに現れるとは。
ーーー可愛いとかおっかないとか優しいとか意地っ張りとか。
色々あるけど、つまりそれは。
(…好きなんだよな)
どうしようもなく。ただ残るのはその感情だけで。
いつの間にか手の中には渡しそびれた鍵があった。腹に力を入れて、うし、と気合の一息。1時間。とにかく頭を冷やそう。冷えるかどうかはわからんけど。
鍵をドアに差し込んで回すと、ガチャっと安っぽい音がした。
彼女へと続く鍵は、ここにあるのだ。